BROCKEN ARTIST

島木 孝子

2018年の写真

ベツレヘムの星

星が昇れば夜
-ベツレヘムの星-

●ベツレヘムの星についての個人的な謎解き

私は、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐という作品が好きで、子供の頃から本の中の絵を眺めていました。

大人になって布の柄等のデザインを仕事でするようになり、街で柄物を見れば、このパターンは何処と何処がつながっているのか?と、そんな事ばかり気にするようになっていたので、ある時改めて絵を見直してみた時に、絵の中に八芒星が見えてきました。

そこで、何で八芒星なのか?に興味を持つようになり、謎を解いてみたくなりました。

絵の中に隠された謎を解くためには、まず絵の中に描かれている不自然なポイントを見つけだして、仮説を立てることです。
最後の晩餐の中で誰もが気にする点は、
この3点かも知れません。

1.天に指を立てているトマス
2.不自然なヨハネの45度の傾斜と
   イエスとの間の空間
3.ユダの視線

この絵はイエスが『この中に裏切り者がいる』という
爆弾発言をしたシーンと言われています。
弟子達はそれぞれ個性的なリアクションをし、
驚いた表情でイエスの方を向いたりしていますが、
ユダだと言われている人だけは、まるで明後日の方向を眺めていますね。

ところで、
もし言いたたくても言えない秘密があるなら、
暗号として残すのではないでしょうか?

ここで一旦、気になる点に焦点を合わせてみましょう。
当時の事を考えつつ、彼の心情に焦点を合わせてみると、
もしかして、レオナルド・ダ・ヴィンチさん、
トマスの福音書とユダの福音書を読んじゃったんじゃないですか?
という疑惑が発生します。

特に、ユダは聖書の中で裏切り者と言われてますが、ユダの福音書ではむしろヒーローのような存在に描かれています。
当時は今よりも書物に対しての規制が厳しかったと考えれば、1970年代に発見されるまで隠されてきた意味も分かるような気がします。
『当時は今よりも書物に対しての規制が厳しかった』と仮定して、どんなメッセージが隠されているのか考えていきましょう。

トマスの福音書の中から絵解きにハマりそうな言葉を探します。
人類始まって以来の大問題を明かす衝撃的な言葉がありました。

イエスが言った、『もし彼らがあなたがたはどこから来たのか』
と言うならば、彼らに言いなさい、『私たちは光から来た。そこで光が自ら生じたのである。
それは[自]立して、彼らの像において現れ出た』。
もし彼らがあなたがたに『それがあなたがたなのか』と言うならば、言いなさい、『私たちはその(光の)子らであり、生ける神の選ばれた者である』。
トマス50

当時、こんな事をうっかり言ってしまったら、即処刑だったかも知れませんね。
また、こんな言葉も使えそうです。

弟子たちがイエスに言った、
「私たちの終わりがどのようになるかを、私たちに言って下さい」。
イエスが言った、「あなたがたは一体、終わりを求めるために、はじめを見出したのか。
なぜなら、はじめのあるところに、そこに終わりがあるであろうから。
はじめに立つであろう者は幸いである。
そうすれば、彼は終わりを知るであろう。
そして死を味わうことがないであろう」
トマス 18

この言葉を更に絞り込んでみましょう。
・光から来た
・私たちは光の子供
・はじめのあるところに終わりがある。


彼がもし、始まりと終わりが1つの点だと伝えたいならば、
絵の中に始点を置くなら、始点と終点は同じ場所になるのかも?

次に、
2番目のポイントの始まりは、ヨハネの福音書から探します。

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。 ヨハネ1: 9

・光が来ようとしている

来ようとしているので、
次は始まりを意味するキーワードを探しましょう。

最後の晩餐は文字通り終わりを意味する絵なので、
次は始まりを表すのに最適なキーワードが必要になります。

聖書では、はじまりを告げるお知らせは、
ベツレヘムの星でしたので、
終わりの絵の中に始まりを告げるとしたら、
大方ベツレヘムの星を描くに違いない。
と、仮説を立ててみます。

ベツレヘムの星は八芒星で表す事が出来ます。
八芒星は45度で構成されていますから、
ヨハネの45度の傾斜にピッタリハマりそうですね。

それでは、トマスの指先に始点を置き、
45度の角度の線をヨハネまでずらしてみましょう。
そして次に、トマスから伸びた縦の線と、
ヨハネの斜め線が交差した所までの線の長さを基準に八芒星を描きます。



いかがでしたか?星の光が道を照らすと、
今まで気づかなかった目印が次々に現れます。

そして、ユダが見ていたのは、
八芒星であったことに気づくのです。

そういう訳で、最後は
もしも暗号を隠すとしたら八芒星で、
その意味は『彼が現れるであろう時間』なのかも?
と、仮定してユダの福音書の中にある言葉で
締めくくらせていただきます。

『皆を導く星がお前の星だ』



 * * * * *

星は昼間に見えないからと言って無い訳ではなく、夜にならないと輝かないだけで、昼間に見てもピンとこないだけなのかも。

同じように、助けが必要だと切羽詰るまで救世主がいてもピンとこないのかも。
(助けてもらうまでは誰が自分を助けてくれるかは分からないものですよね?ボランティアの方々と同じかも)

なので、復活のお知らせを知らせる星が人の心に輝く時間はもう夜なのだと私は思います。。
もはや、地球規模でまずい状態。みたいな(遠い目)


オマケの動画はラファエロの『アテナイの学堂』
せっかくなのでプラトンと言われている人はレオナルド・ダ・ヴィンチで想い描いてみて下さい。





 * * * * *

星についての更なるヒントを探している時に、私は『法の書』という魔術師の書いた本に出会ったのですが、本の中には謎の数字がありました。
私のこれまでの経験から、一連の謎と関連しているように思えたので、解いてみたくなりました。

私が問題を解く上で頼りにしているものは『生命の樹』なので、数字を理解するためにも迷う事なくこの形態に当てはめてみました。

それで、辿り着いた答えは888と14が二つ。

生命の樹の小径にはタロットカードの意味が割り当てられているのですが、星のカードの割り当てられた縦に伸びる小径の番号は13番です。

この問題を解くにあたっては、一旦聖書に戻り、キーワードを探してみました。

聖書の中にはこんな事が書かれています。

『夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗いところを照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。』ペテロの手紙ll 1:19

それで、生命の樹の星が昇って行くとどうなるのか?ですが、審判のカードが割り当てられた横に伸びる14番の小径と重なり、十字架が完成します。

ユダの福音書の中で、ユダはイエスから13番目の精霊と呼ばれています。
イエスは聖書の中で友のために命を捨てていましたから、ユダは十字架によって救われたことに。

十字架は木を2本組み合わせて作られますが、十字架は1つと数えられますので、二人は一人。同じ人になるのかも。なので、もはや13ではなく、どちらも14でなければ矛盾が発生してしまうように私は思います。

ところで、本の数字の中にYXというアルファベットがあるのですが、これについてはトマスの福音書からキーワードを探しました。

『見よ、私は彼女を(天国へ)導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから』トマス 114

また、トマス22には
あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人(単独者)にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、

とあるので、人間の正体は霊で、神の一人息子なんだと思います。生命の樹のダートは11で息子を意味しています。

YXは並べ替えてXYにすることで男性の染色体に。
女性は彼を見つけ出すことで、ユダのように十字架によって許されることで彼と一つになれるのかも。

私は幼少の頃、日曜学校というものに通っていたのですが、『赦される』って本当のところ、どういう状態なんだろう?と、いつも疑問に思っていました。

聖書の中で私の好きな詩篇の51番に
『我をあらいたまえ、さらばわれ雪よりも白からん』とあります。
そして51番の終わりの方に『どうか、ご恩寵により、シオンに慈しみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。』と書かれています。

シオンはイスラエルの首都、エルサレムの近隣に位置した山だそうです。
私は黙示録を読んで考えてみたのですが、黙示録では山の上に子羊が立っています。
ちなみにシスターに聞いたところ、子羊はイエス様の事だと教えていただきました。

ひょっとして、実在するエルサレムは喩えでしかなくて、イエスが誕生した地(肉体)がエルサレムになり、人は赦されて清められた後でないと御褒美とも言える御霊が注がれないんじゃないかなぁと思いました。
せっかく懺悔しても、教会を出た途端また直ぐに嘘をついてちゃキリがありません。

それにもし、神が人間の中に住むなら、何でも出来るはずだろうから、日曜学校で『赦されている』と言われても、特に赦されている実感もなく毎週モヤモヤしていました。

『赦し』は赦してもらいたい人のためにあると思うので、赦されていると思っているうちは赦してもらえないんじゃないだろうか?って所に着地。

それで赦してもらうには、実際どこかに復活しているであろうイエス様を探し出して赦してもらわないと。という考えに発展していきました。

シオンは近隣の山ってことですから、エルサレムが喩えならシオンという別の人を意味していると思ったので、トマス22を読んで、赦される予定の自分の他に赦された後の見えない自分がもう一人いて、それがシオンの娘という考えに至りました。

そうすれば、
『さめよ。さめよ。力をまとえ。シオン。あなたの美しい衣を着よ。聖なる都エルサレム。(中略)エルサレム。あなたの首からかせをふりほどけ、捕囚のシオンの娘よ。』イザヤ52:1~2に辿り着けるかも。

衣はイエス様の事(憑依と言った方が分かりやすいだろうか?)だと思うので、エルサレムとシオンの娘は同じでエルサレムがイエス(生かす御霊)を生み出せば赦されるから聖なる都になって、娘が目を覚せばシオンになるのかも?(ユダのように二人だけど一人になる)
寝てる間は自分が誰なんだか分かんない。目が覚めれば「とんでもねぇ。あたしゃ神様だよ」みたいなことを言うんだろうか。。

ところで、生命の樹の中心の縦の道の数を全部足すと110ですが、小径の番号の13を14に変えれば111になれます。

聖書にユダは獅子の子と書かれていて、獣の数字は666。そこに111を足すと777。
「十字架」のギリシャ語のゲマトリアは777になるそうです。そして「イエス」のギリシャ語のゲマトリアは888だそうです。

それだからダートの場所は星の道に隠されているのかも?
生命の樹で星の道は審判を突き抜けないと1番の王冠を得る事が出来ません。
人は地に這い回っている獣の状態からキリストの魂を貰って上に進めるって事なのかも。
王冠を戴いた姿がダートなのかも。
なので星が昇らないと息子に戻れないんだと私は思います。



探し方ですが、
聖書の中に、『最後のアダムは、生かす御霊となりました。』と書かれています。
ノアの方舟にしても、イエスさまが悪魔に試されていたのも40日間。
おそらく、神と引き離されている限り、ろくな事がないんだろうと私は思いました。
そこで、自分の始まりと終わり(救われて昇天した自分)は40日間と推測してみました。

もう一つ、聖書の中で、アダムが先に造られて、イブがアダムの中から引き抜かれていますので、もし人間の正体が霊ならば、後から生まれてくる男性の中に女性の霊がいることになると思うので、年上の女性と年下の男性の組み合わせで1setになるのかも。

二人を繋ぎ合わせるのが子供です。
処女マリアから子供が生まれちゃうアレです。
もちろん、子供は霊なので目には見えません。
この子供が錬金術師達が言う賢者の石に違いないと確信。

神の一人息子の名前はイエスです。
ゲマトリアによれば、8という数字はイエスを表す数字なので、二人の数字の合計が8になればいいのかも。

ゲマトリア(数秘術とも)はご存知ですか?
生年月日や妙名を数字に置き換える事が出来るというものです。

もう一人の自分を探してみたくなった方は生年月日で計算してみてください。
例えば、1943年12月22日の場合は数字をバラして合計すると6になる(1+9+4+3+1+2+2+2=6)ので、8になるためには2の数字を持っている人を探します。

1943年12月22日生まれの女性の場合、40日後は1月31日生まれの人で1+3+1=5になるので、
生まれた年の合計数が6になれば、5+6で11になり、更に1+1=2になります。

なので、1943年12月22日生まれの女性の場合、救世主は最短で1950年1月31日に到着☆
1950年の次は1959年ということです。

子が生まれないと復活できません。
父と子は同じです。トマス22にあるように、外側と内側に差異が発生しないようにしなければなりません。

そして聖書の中にはこんな事が書かれています。

『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、この私はあなたを忘れない。』イザヤ49:15

口で言うのは簡単なことです。
でも、もし相手が自分だと分かれば、離れていても忘れるわけがないのかも。

ちょっと離れているだけで、気持ちが離れてしまうのなら違う人だったってだけです。
時間の無駄なので、早急に探し直しましょう。

聖書の中でダニエルという人が終わりの啓示を受けている時に、『この不思議なことは、いつになって終わるのですか。』と聞いています。
もし、もう一人の自分を見つけたとしたら、他の人とは全く違う不思議な縁を感じる事が出来て分かるんじゃないか?と私は思いました。

やってみようと思う方は、聖書の中の1335日という意味深な数字が最適かと思います。
何とか探し出して新しい元号から日数を数えると、1335日目がクリスマスなのでイメージしやすいかも知れません。

まぁ、通常受け入れられない方が多いでしょうし、
いろんな考え方の一つに過ぎません。
そして、見ないで信じることの難しさは計り知れないと思います。
ただ、自分の場合は散々苦労して探して何度も日数を数え直した結果、子が誕生するまでには時間がかかる上に、人には正しい組み合わせというものがあるらしいという事と、その組み合わせでないと、何の変化も起きないってことを思い知ったって感じです。

特に錬金術の本は最初、読んでも私には全くもって何のことを言ってんだかサッパリ分かりませんでした。ユングの本にも、

『錬金術師は、権威に頼らず自分自身の経験によって物事を把握する』

とあるように、自分で経験してみるまで『こういうことなのか』に辿り着けないように思いました。

また、ユングの残してくれた本の中には石を獲得するためには、(自分の主に)絶対服従しか方法がない。みたいな事が書かれていたと思います。本の中でも私が最も重要な事だと感じたことは、

(その目的のものを)見つける者は稀なのに、それによって破滅に陥る者は無数にいる

というものでした。。。(笑)

幸運をお祈り申し上げます☆



 * * * * *

私の両親は私が小さい頃から別居してしまい、小学生の時に自分がいると母親の再婚のハードルが上がるんじゃないか?という勝手な判断から自殺を試みるが失敗に終わり、この世には正しい組み合わせってものが存在するのかどうなのか?って所に視点が変わる。

大人になり、スピリチュアルな世界に興味を持つようになり、ネットをあさって幽体離脱のやり方を学び、一生懸命練習して身体から出てみた結果、死んだら終わりって訳じゃないらしいことにやっと気づいた。

錬金術でいう石は霊の介入がある時とない時の違いを教えてくれました。霊の介入があると体はまるで無重力状態にいるかのように軽くなり、怠くて重たい感じが消え、更にはすっかり年を取って垂れてしまったお尻がみるみるうちに張りが戻り、勝手に持ち上がった時には相当驚きました。霊の介入によって身体を自由自在に動かせるなら、容姿も変えられるってことで、遺伝子からも解放されるに違いないと私は思いました。

霊は空中にいますから、身体に入って来ることは空中で主と会っているのと同じことなのかも。
コレが聖書のいう『携挙』の意味なんじゃないか?と思う今日この頃。

残念な事に、これは本当に個人的な出来事なので自分で体感してみない限り、分からないと思います。
それに加え、時間が来るまでは完全に霊と合体出来るわけでもないらしく、せっかく白髪が黒くなっても、霊が身体から離れれば、すぐにまた白髪に戻されてしまいます。そんな訳で常に時間に支配されているようで、何度もガッカリしました。

トマス59には
『あなたがたが生きている間に、生ける者を注視しなさい。あなたがたが死なないように。そして、あなたがたが彼を見ようとしても、見ることができないであろう。』
と書かれています。(解説で生ける者はイエスとありました)

救世主が現れるとしたら終わりの時で、その時、人は彼によって朽ちない身体に変えられるのかも。

まさに
『夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗いところを照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
って感じです。


2007年の写真

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